隠岐諸島に小僧達と行ってきた。その7、島前編


こんちは!スタッフのSENです。

さて今回は隠岐諸島の島前に観光しに行きました。

隠岐諸島は島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれています。

隠岐諸島の地図
隠岐諸島の地図

船で着いたのが島後の西郷港です。そこから今回は島前の海士町(あまちょう)へと船で向かいます。

隠岐汽船
隠岐汽船。

晴天なり!海で晴天は本当に気持ち良いですね!

隠岐汽船、船内
隠岐汽船、船内

おお!ここにも鬼太郎が!

島前の菱浦湖
島前の菱浦港
島前の菱浦湖
島前の菱浦港のフェリーターミナル

綺麗なフェリーターミナルですね。基本的に隠岐諸島のフェリーターミナルは何処も綺麗です。

菱浦港フェリーターミナルの切符売り場
菱浦港フェリーターミナルの切符売り場

すごく綺麗なフェリーターミナルの内装です。

キンニャモニャ祭りのポスター
キンニャモニャ祭りのポスター

「人の笑顔と声がする島」これは見に行きたい!

キンニャモニャは、海士町の民謡「キンニャモニャ節」に由来するもので、「キン(男)も、ニャ(女)も、モニャ(文無し)」という意味だとか、「キン(金)も、ニャ(女)も大好きだけど、モニャ(文無し)になった」というような解釈がされる言葉です。

ないものはない。海士町のポスター
ないものはない。海士町のポスター

いいですね〜。ないものはない。

 

隠岐神社
隠岐神社

さてバスツアーに申し込んでまずは隠岐神社へ!

 

隠岐神社について。以下Wikipediaより

承久3年(1221年)、承久の乱によって隠岐へ配流された後鳥羽天皇(配流時は法皇)は、当地の源福寺を行在所とし、旧在庁官人で海士郡の公文、田荘両職を兼帯した村上氏が身辺警護と監視にあたっていたともいわれている。19年後の延応元年(1239年)2月22日に崩御して同25日に源福寺裏山で火葬にされ、遺灰を埋納して火葬塚を営んだ。万治元年(1658年)、松江藩主松平直政が廟殿を造営し、明治まで維持に努めたが、明治2年(1689年)に廃仏毀釈の影響で源福寺は廃寺(後に復興された)。

海士町後鳥羽院資料館に所蔵される絵図(江戸末期の様子)には、この火葬塚の場所に「後鳥羽院神社」(創建不詳)が描かれており、江戸末期には、島民によりここで祭祀が行われていたといわれている。しかし、1873年(明治6年)、法皇の御霊を大阪府三島郡島本町の水無瀬神宮に奉遷したため、1874年(明治7年)に後鳥羽院神社も取り払われた。なお、神社が取り払われての後も、祭祀が続けられていたといわれる。後に、この神社を中心とした旧源福寺境内地は、後鳥羽天皇の隠岐の御陵「御火葬塚」とされた。

1940年(昭和15年)の紀元二千六百年記念行事の一つとして、島根県が隠岐神社を創建した。1939年(昭和14年)に完成し、1943年(昭和18年)には県社に列せられている。鎮座地は「御火葬塚」に隣接している。

なお、神社が完成した1939年は、法皇の崩御700年に執り行われた「後鳥羽天皇七百年祭」の年でもあった。

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隠岐神社の狛犬
隠岐神社の狛犬
隠岐神社の相撲をする為の土俵
隠岐神社の相撲をする為の土俵

隠岐神社に限らず、色々な所に土俵がある。

隠岐神社
隠岐神社
隠岐神社
隠岐神社

まずはお清め。

隠岐神社
隠岐神社

おお!本殿が見えてきたぞ。真夏日の誰もいない境内の雰囲気は大好きである。親父はテンション上がりぎみ。

隠岐神社
隠岐神社
後鳥羽天皇
後鳥羽天皇 住居跡。
船渡来流亭
船渡来流亭

船渡来流亭(せんとらるてい)と読みます。

船渡来流亭
船渡来流亭

綺麗なキッチンです。

今回はここまで。

また来週!


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